友人の妊娠を素直に喜べない妊活中の女性は、私も含めて少なくないと思います。
決して喜べないわけじゃないんだけれど、心のどこかで〝ねたみ〟が存在するのは、自分が認めたくない事実なんだろうな・・・と思うのです。それだけ、不妊の問題に立たされた女性の悩みは深刻だということなのでしょう。
そう考えれば、不妊女性の悩みは妊娠しにくいカラダに関する問題と同等に精神的な不全が占める割合も多いはずです。
たとえば、結婚後の義両親に対する〝まだ生まれないこと〟へのコンプレックス。
不妊というのは夫婦だけの問題ではないのが、妊活の精神的プレッシャーとでも言うんでしょうか?結婚すると、親戚が倍に増えて義両親という微妙なスタンスの元他人が身内となる・・・だなんて少し卑屈な表現ですが、義両親にすれば息子夫婦の赤ちゃんが早くみたいのは自然な気持なんですよね。
けれど、時に・・・これが妊活の最大の精神的圧力になる要素をはらんでいるとしたら、妊娠って、いったい誰のためのイベントなんだろう?と思うわけです。
そんな複雑な心境ともなれば、突然舞い込んできた友人の妊娠報告とか出産報告のメールに心から喜べないのは決して罪なことじゃないと思うわけです。
さて、これは妊活をしていた一人の女性の書き下ろしエッセイとでもいうのでしょうか。特に妊活について勉強になる類の本ではないのですが、たとえば子どもができないことで家族や親戚、友人知人はもとより社会全般から受ける精神的暴力についての慟哭の書といってもいいかもしれません・・・・・・
〝お世継ぎ〟なんて今どき誰かが口にする言葉ではありせんが、昔はこの冷淡な問題に心を痛めていた女性が少なくなかったのは事実なんでしょう。
ふと、こんな本を手にする機会がありました。極楽「お不妊」物語
>お世継ぎを望んで毎晩涙しているアナタ、生理になってくやしがっているアナタ、婦人体温計を毎朝くわえているアナタ、私がハマった7年間の「カルトお不妊」の出来事に笑って下さい! と描くこのフレーズに、大丈夫、女は必ず何かを産んでいると、エールを記しています。
なんなんだろう?この本・・・
なんだかガツンと拳で頭を叩かれたような、にぶい衝撃を受けました。
著者の柿川鮎子さんは編集の仕事をしていたというだけあって、コミカルでけっこう自虐的なことをサラリとうまく書いている。
どこまでが嘘でどこまでが本当なのか、いきなり「柿川鮎子」が首を吊ろうとするところから始まるあたり、ブラックユーモアが効いているね。
普通なら引いちゃうところだけど、落語みたいな語り口でどこまで本気かよくわからない。でも、読み終えてみると、たぶん本当だったのかなあ……と思う。苦しかったんだろうなあ。
よく「子どもが生まれました」なんて写真入りのハガキは嫌い! なんて意見、べつに妊活中の人にかぎらずありますが、子どもが出来なくて悩んでいる身にとっては、「気を使って自分にだけ写真を送ってくれないことも嫌」だったりするんだよね。
自分はまだそういう経験がありませんが、たしかにそんな仕打ちを受けたら落ち込むと思う。妊娠に成功しましたよ的なハガキを送られてもイヤ、送られなくても嫌。じゃあ、どうすりゃいいんだよ!って自分でも思うんだけど、そんな複雑にして口に出すのもはばかられるデリケートなイロイロを、この本は軽妙に書き出しているんですよ。もう、痛々しいくらい・・・
「離婚」が「バツイチ」になったように、言葉のイメージが悪い「不妊」も「お不妊」にしようなんて書いているので、最初は妙な啓蒙本かと思ったりもしたのですが、たぶん、ものすごく苦しんだであろうドロドロの中からも、仲間を見つけ友情を育み、うちのめされても立ち上がろうとする姿に静かな感動を覚えました。
何度か涙がにじみましたが、最後にはホロリ。衝撃的なラストです。エッセイで心拍数があがったのは生まれてはじめての体験でした。
いろいろと受け取り方の違いを感じたのですが、私がそこまで思いつめていないというのは、私はまだまだ真剣に妊活に取り組んでいないんだろうかとちょっと心配になってしまいました。
私は彼女のようにがんばれるだろうか?そして、どんな結果になっても納得して残りの人生をまっとうできるだろうか。重く深い内容でありながら、読後感はすがすがしい。不思議な本でした。